風 光 明 媚

「すでに名はある。。」

カテゴリ: 【 論文 】

img_b11b830169f29471f882b3765cf4491256190知識も教養もない私ですが、ある映画のセリフを思い出した。
「地球上で遠慮なく蔓延るのはウイルスと、お前たち人間だけだ」と。
多少言い方が違っているかもしれないが、関心しながら映画を見た記憶がある。

新聞ではこの新型コロナウイルスは、感染拡大を続け世界で死者が9万人、感染者数が160万人を超えると載っていた。
また様々なところで、新型コロナウイルス情報などの記事に目に付く。
どの情報が正しく、どのように予防したら正解なのか、誰もが手探りで過ごしているはずだ。
この文章を書き終える頃には、まだまだ感染者数も死者数も伸びているだろう。

世界中で外出禁止を呼びかけ、日本では緊急事態宣言を出し、人々の移動が制限されていく中でも感染拡大はまだまだ広がっていく。
今出ている人数は、以前感染したウイルスの発病に過ぎない。
中国や韓国では感染者数減や、本日の死亡者数0人などと、封じ込みをアピールする記事も出ている。

しかし人類はウイルスに勝てるのだろうか。

歴史を振り返ると、ペストやスペイン風邪など何度もパンデミックを起こしている。
その度に何千万の人が死に、経済は衰退し、世界は混乱に陥る。
この近現代に入っても、何も解決されず、誰もコロナウイルスに勝てるものはいない。
感染し無事退院できた者もいるが、感染してない者は慌てふためきながら怯え、感染者も死者も増え続けていくだろう。

ウイルスだって変化をし生き延びている。
独英の研究チームによると、新型コロナウイルスには3タイプの遺伝子を検出したそうだ。

日本における外出自粛において、コロナウイルスは消えてなくなるだろうか。
そして外出しても感染しない時代がやってくるのだろうか。

そんな日はこない。
何度も世界を恐怖に貶めるウイルス。
人間の中に抗体ができるまでは、あるいは薬が開発されるまでは、永遠に新型コロナウイルスと戦う日々だろう。

他人にうつさないためにも、私見ではあるが外出自粛を推奨したい。
しかしどんなに足掻いても感染してしまうだろうし、最悪は死ぬだろう。
自分は大丈夫なんて買い占めなどしても、死んだら意味がないよ。

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最近、連絡先の交換をしたのはSNSのfacebookだった。
それは二人とも50代前後。
facebookを利用しているのはオジさんだけという定説は間違っていないと思う。

若者は基本的にはLINE交換、ワンタッチで電話もでき、スタンプでの表現を行い、少ない単語でやりとりする。
またアピールポイントはインスタグラム、写真映えする物が必要になってくる。

なぜオジさんはメッセンジャーなんだろう。
なぜ連絡先はfacebookなんだろう。
それはオジさんたちじゃ逃げ場を探し当てたからだ。
毎日の出来事をアップして、それにコメントを入れあって、日々の生活の糧にしている。
知人の出来事を覗き、頷き、拍手喝采を送る。
他愛もない日常生活から、少しでも関係のない非現実がそこにあるからだ。
その非現実を素直に受け止めることができるからだ。

それはオジさんの個々のにゆとりがあるからだと思う。
リア充を見ても苛立つことはなく、見栄を張ることもない。
ただ「いいね!」っていうコメントをするだけ。
そしてそれが己にも返ってくる。

これが若者だったらそうはいかない。
背伸びしたくなるし、アイツには負けたくもない。
自分ならこうだ!という気持ちが先にくる。
そして若者なりのプライドもある。
ただ、今までも満たされていたから獲りにいこうとまでは思っていない。
様々なことに興味を持つし、楽しいだろうし、そこにゆとりを装うだけである。
だからリア充を見たくない若者が増えてくる。

そんな言葉が言われだして早5,6年は経っているだろう。
mixiもそうだが、若者がいなくなるということは廃っていくだろう。
いつかは利用しなくなるし、また新しいものが出てくるであろう。
オヤジ文化はいつまでも続かない。

将来のSNSはどうなっているのか、私たちは今、試されているのだと思う。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090823-00000001-jct-soci
なぜ都会の水は不味いのだろうか。それを気付く都会人は少ないのではないか。

井戸水で生まれ育ち、それを飲んできた人はどれだけいるのだろうか。水の旨さを端的に見分け、説明することは難しいかもしれない。水にも軟水、硬水など用途に分けて使用するのがいいようだが、そこまで考えて水を使っている人は少ないと思う。また「水を買う」という概念がない昔とは違い、今ではよく見かけるように自動販売機に水が売られていて、それを購入する人も多い。

しかし実際にはレストランやおみせでは、水は無料でサービスされている。この水を飲んだことがある人はもちろん多いだろう。その水は美味しかったか。それに気付く都会人はいない。私は決してお店での水を飲み込まない。口の中を濯ぐ程度だ。それはサイトに紹介されているように、カルキ臭がして飲み込むのに抵抗があるからだ。しかし都会人はカルキ臭にあまり気付かないし、気にならないようだ。それは水道水で育ったから水というものはカルキ臭がするものとして抵抗がないのであろう。

例えば、お店によってはレモンを絞った水が出される。これはレモンの香りでカルキ臭を消し、飲みやすくしているものだ。確かにレモンを入れた水は、匂いもよく飲みやすい。お店としてはサービスのひとつでもあり、料理にとっても重要なポジションに違いないからである。

要するに「水」が不味いと感じる地方出身者も含み、無料である「水」を改善して美味しくしていくのは、ただの自慰行為だと思える。浄水場の導入や、古い水道管の交換、直結給水の普及も裏ではお金がかかっているのだ。本当に水の味を変えて何に使うのであろうか。ご飯を炊くのに水の違いがわかるのであろうか。只美味しくなったというわけで、井戸水のように夏は冷たいということではない。「都会の水は不味い」ということでお金をかけて改善する必要性が全く見えない。お金が動くということは天下りの業者の発展を促していくだけであって、本質である「水」については考えてはいないと感じる。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090805-00000000-sh_mar-sci
なぜ若者の「酒離れ」が進行しているのだろうか。

お酒に限らず、車や旅行も若者が見向きもされなくなってきている。それは生活している中での、嗜好品でしかないからであろう。楽しめるものとして、旅行に車、お酒が挙げられるが、それを楽しむと感じる若者が減ってきたからであろう。また飲酒運転がクローズアップされ、飲んだら飲むなの傾向としては外出先で飲酒するとは考えにくく、減少の経過を辿るであろう。

裕福な国に生まれた若者は、生まれながらして全て揃っていた。車に乗って、旅行にも出かけ、最初にアルコールを口にする割合は、家庭での一口だそうだ。こう見返すと、若者としてはもうすでにやり尽くした感があるのではないだろうか。高度経済に伴って成長してきた日本は、次々と物を作り、発展し、開発され、楽しみを覚えてきた。現社会を見返すと、不景気、政治不信、自然環境など、今後への不安のほうが強い。そんな中、お酒を飲む楽しさや飽きた遊び、お金がかかる嗜好品に目が向かないのである。

要するに若者にとっても、違う遊びを覚えてきたのだ。本を買うお金よりも携帯電話に支払うことを優先する。車を買うことよりもパソコンを買う。これを若年層の進歩と仮定するならば、それに乗り遅れる業界の叫びとして「~離れ」というキャッチフレーズが出てきたのであろう。嗜好品と考えるものは、すでにお酒ではないのである。

1ed2ffa5.jpg昨日深夜テレビ番組で放映していた番組“ビートたけしの絶対見ちゃいけないTV”。

何を見てはいけないTVなのだろうか。絶対に見てはいけないTV?このタイトルがもう古めかしいかもしれない。テレビでの放映には規制がかかっている。それをスレスレの状況で放映する。しかも後から、多方面よりクレームが入るかもしれない。それを承知の上で放送をする。その考えがもう古いだろう。ネット社会では言いた事、伝えたい事、好きなことを言い放題の状況である。そんな中、規制がかかるような内容ではつまらない。テレビ放映が限界まで頑張ったとしても、またそれも生放送で行なったとしても、所詮はスポンサー付きのテレビ番組。目新しいものなど何もない。情報など各個人に伝わるのは、ネット社会のほうが早い場合もある。

例えば、ビートたけしを起用し、以前のようなブームを巻き起こせるかと思っているのだろうか。下ネタばりのゲームや際どい写真を載せる。話題になりストリップに転向したアイドル小向美奈子の生着替えや、常識を外れた過剰なコメントに一喜一憂する。見ていても何かが面白くない。確かに写る映像としてはタイムリーに見ることができ、その瞬間は釘付けとなる。しかし、目を奪われたとしても長続きはしない。それは会話やコメントが毒付いても、誰もが考えることができる内容だし、その上誰もが言える社会状況に変化しているからであろう。

要するに一方的な垂れ流しだけでは、テレビを見ているだけの受け側としては飽きがくる。会話のコメントが上手い、キャッチボールやかわし方が素早いなどの内容ではない。見てはいけないテレビというだけあって、本当に放映できない内容でもない。テレビ局側の視聴率低迷やスポンサー離れしている情勢で、どうにかしようという努力は感じることはできるが、ラジオが衰退してきたように、テレビも衰退していくことに歯止めはきかないだろう。“絶対見ちゃいけないTV“は”是非見て欲しいTV“として放映すべきである。

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